新型コロナの自粛自滅や、香港の民主主義終焉を
見ると、大衆は狂った公共性に抵抗するより、
諦めて慣れてしまう道を選ぶものだという当たり前の
現実を再確認するしかない。
暴力や死の恐怖の前に人間は無力である。
極限状況では、自由より秩序、自由より豊かさを選ぶ
のが人間の弱さであって、権力はそれを見透かして
露骨にアメとムチを使い分けてくる。
その構造自体が分かっていても、人間は畜群と化して
秩序を口実に平穏と豊かさを選ぶ。
だが、日本の新コロ自粛の場合、1年、2年くらいなら
狂った公共性を受容できると思う者が大多数なのかも
しれない。
ところが、その1年、2年の被害は想像を超えるもの
になると気づく強者は、狂った公共性を受容している
わけにはいかないと今のうちに戦う。
戦えるのは常に今のうちだ。
香港はそれに気づくのが遅かった。